最近、id:Windymelt と一緒に Scalaわいわい勉強会という勉強会を開催した。
開催するにあたって大事にしたいなーと考えていたのが、コミュニティの心理的安全性を確保し、多くの人が気軽に自分の学びを共有し(つまりブログを書いたり発表したり)、知らないことがあり間違ったことを言っても大丈夫なんだという雰囲気を作りたいなと思っていた。(協同主催者の id:Windymelt くんも同じようなことを考えていたようだ)
(なので、こう言ってもらえた感想をもらえたのはとても嬉しかった)
Scalaのコミュニティというか関数型プログラミング言語のコミュニティ、ふらっと参加するには恐れ多い印象があったのだけれども*1、 これくらいのノリであれば全然次回も参加したいな〜となるくらいの感じであったな。 ... 言ってることがわからない ことと わからないと表明することを咎められない ことが両立することはとても気持ちがいい Scalaわいわい勉強会 参加した - ふんわり放牧
よく心理的安全性の誤解みたいな記事で言われるように、心理的安全性のあるコミュニティというのはぬるま湯仲良しクラブで間違ったこといっても誰も指摘しない、みたいな状態ではない。
誰もが何かを知らないこと・間違ったことを発言することを恐れることなくアウトプットすることができ、誰かが間違ったことを言っていたらそれを指摘しても良いし、意見の相違が合ったらそれを対立意見を表明しても良い、そういったフィードバックをによって良質な知識の共有をするための土壌が整っていることが、技術コミュニティにおいて心理的安全性があるということなのではないかと思う。
参照: Software Engineering at Google - Knowledge Sharing - Setting the Stage: Psychological Safety
じゃあ心理的安全性を確保するために、多少影響力のある立場で勉強会の主催として、どういうことをすればいいのかというtipsが知りたくて読んだ。
内容としては
- あいさつをしよう
- 笑顔で安心感を生もう
- まずは「ありがとう」を伝える
- 良いところに目を向ける
- ポジティブフィードバック
- 腕や足を組まない
- 「いろんな考えや意見を聞きたい」と伝える
など、そうだねって感じのものが多かったが、心理的安全性ってこういう小さなことの積み重ねの上に成り立つものだよなと再認識できてよかったし、感謝などのポジティブフィードバックは積極的に表に出していこうと思えてよかった。
一方、確かに心理的安全性は、対立意見を抑制するというものではなく、間違った意見があったらそれを正すみたいなフィードバックは良質な知識共有に欠かせないものではある。しかし、日本などの儒教文化圏はそもそも対立回避的な性質が強く、公の場で間違いを指摘されることを苦手とする人も多い。
また、たとえ間違いを指摘することが相手を責めるつもりが無かったとしても、言葉であなたを責めるつもりはありませんと言っても、頭ではわかっててもどうしても責められていると感じてしまう人はいる。
そういった人たちが反対意見を受け入れてまた自分の意見を表明しやすいようにするためにも、little bit や maybe といったダウングレードする言葉を使って反対意見を表明するのは良いテクニックだろう。文化が違うのだから、異なる文化でうまくいっていることをそのまま日本でも適応する必要はない。
(もちろん、そういった人たちが議論に慣れて、反対意見の表明が自分/相手を責めることではないと感覚的に理解できると素晴らしいけど、すべての人がそうあるべきと期待するのは他人に対する期待が大きすぎるような気がする。)